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本郷顧問連載コラム:Vintage Sake (全33回)
第3回:残されていた数々の熟成古酒
長期熟成酒研究会顧問 本郷信郎
2011年01月07日(金)
元禄二(1689)年の酒が現代に残されていたとは想像を超える事実であった。
長野県佐久市の旧中仙道の茂田井宿に現存する大澤酒造の酒である。壺の表面にはひびが見られたが、そこに内側から古酒がにじみ出てきて、黒褐色の固いのりが付いているような状態となっていた。細やかな香り、味は軽やかで、のど越しはスッキリとしていた。
昭和元年から初期の酒が大量に残されていたのは和歌山県高野山に近いかつらぎ町にあった帯生酒造の「スヰートピー」。わらぼっちをかぶせた状態で保存され、瓶の内側には黒点が付着していた。麹の量が比較的少ない灘型の酒。瓶を縦にして保存していたもの、横にして保存してあったもので熟成度が異なり、酒は澄んでいたが、濃い赤褐色。味に幅を感じた。
1941(昭和十六)年の太平洋戦争時の企業整備令で、廃止工場になった福岡県久留米市の杜の蔵に残されていた酒、酒造好適米「雄町」で造られた大吟醸。熟成45年目に1度利き、50年目に研究会で再び。テーブルをはうように、何とも言いようのない高貴な香りが広がり、のど越しの柔らかさは抜群であった。
昭和40年代、麹を2度にわたって、現在の倍量を使う江戸期の仕込みで造った長野県須坂市の三蔵酒造の「十六御菊」。香り高く素晴らしい熟成古酒であった。蔵跡はマンションとされ酒造場は、もうない。大分県国東半島にある萱島酒造の昭和38年の「西の関」の大吟醸も現在も残り、ほかを圧して見事な酒に成長しているという。
利かなかったのは、新潟の豪農渡辺家に残され、「宝暦六(1756)年、甘露酒七合瓶」と書かれた酒や、山形県河北町の朝日川酒造分家にあった大正7(1918)年の市販酒、富山県の富美菊酒造に残されていた戦争中の防空壕に寝かされていた酒がある。
熟成酒の復興に夢をかける蔵元による長期熟成酒研究会のメンバーは(2006年6月16日現在)50に達するが、それら蔵元が昭和30年後半から40年代に造った酒で、現在、流通ルートに乗っていない酒がある。
山形県では昭和30年後半から40年代の「初孫」大吟醸に、昭和46年からの「東光」大吟醸。長野県では昭和53年からの「麗人」多酸酒、昭和45年からの栃木県の「東力士」大吟醸、昭和47年からの千葉県の「甲子正宗」大吟醸なども。さらには昭和47年の岐阜県の「達磨正宗」濃熟タイプ、昭和40年の岡山県の「三光正宗」純米酒…。
石川県の「福正宗」は昭和37年ごろより九谷焼のつぼ入り。岡山県の「酒一筋」も昭和45年んごろから備前焼のつぼに入れて、それぞれ深い味わいを醸し出している。
(Kyodo Weekly 2008.6.16号掲載)