本郷顧問連載コラム:Vintage Sake (全33回)

第28回:地と共に熟成は古くから

長期熟成酒研究会顧問 本郷信郎

本郷先生近影土は、いろいろな場面で人間の生活を盛り上げ、助けている。酒の発酵技術をはぐくみ、熟成とも関係が深い。身近な住居建物で、現在に残る土蔵倉がそれである。創業時期によって「明治蔵」「大正蔵」「昭和蔵」と、酒造庫にも歴史がある。一方、「熟成庫」としては「半地下蔵」「地下蔵」の他、小山を横から削り、貫いた蔵もある。熟成と土は深く関係していた。

1994(平成6)年、都が出来て1200年を祝う京都・祇園を訪れた。1945(昭和20)年ごろまで、お茶屋「能登屋」の土蔵倉の床下では、たくさんの一升瓶を立てて熟成。瓶口に結晶とみられる”星”が一つ二つ出たころが飲み頃で、ぬる燗にして、お客に出していたという。当時16、17歳だった舞妓さん3人が集まって来て、その話をしてくれた。土蔵倉の話が祇園には残っていた。我々の生活文化が改めて”発掘”されたのだった。

今年11月26日、京都の料亭「土井」で、その最古参の舞妓、行幸(ゆきりょう)さんが参加して、日本酒の会が開催される。

明延鉱山の廃坑跡地兵庫県宍粟市にある1837(天保8)年創業の山陽盃酒造。1996(平成8)年より同県養父市の明延鉱山の廃坑の跡地で、熟成古酒の熟成に挑んでいる。坑道の平均気温は13~15℃。紫外線カットの中、大吟醸の熟成が進む。今後、古い「Vintageモノ」が年々積み重ねられていく。楽しみな蔵である。

長期熟成酒研究会と酒類総合研究所とで2005(平成17)年6月、日本酒100年貯蔵Projectをスタートさせ、当時、長期熟成酒研究会参加の蔵元50社の中から27社が参加。また、これとは別に同11月、東京農大の短期大学部醸造学科と蔵元30社が参加して、熟成貯蔵が行われている。

福井市足羽山の笏谷石採掘場福井県の一本義は1902(明治35)年、当時の古い酒造家、油野紋四郎の蔵を継いで創業、造高150石は地方では大きな蔵だった。一定の常温で熟成させた後、一部の酒は福井市足羽山の笏谷(しゃくだに)石採掘場の平均温度12℃の洞窟に。1995(平成7)年から純米酒1.8リットル瓶1万本、500ミリリットル瓶8000本の熟成がスタートした。笏谷石には古墳時代からの歴史がある。中世では石造・彫刻文化を開花させ、築城に、そして現代では石臼等に使用された。

鎌倉時代、日蓮上人へ献上された「人の血を絞るごとくなる古酒」。東北地方に昭和まであった、秋マムシの焼酎漬けは日常歩く土間の下に埋められていた。紫外線のカット、適度な揺れなど、我々の祖先はその生活の中から、いろいろなことを見出していた。

次回は、酒の熟成に利用されている、鉱山跡、米蔵倉庫、戦時の防空壕跡地を紹介したい。

(Kyodo Weekly 2010.7.12号掲載)